基幹教育院について

About Faculty of Arts and Science,Kyushu University

基幹教育院 ニューズレター「き」10号

巻頭言

基幹教育院長 谷口説男

 平成の世が終わり、新しい令和が始まりました。残念ながら、この4月に始まった平成の名を冠された最後の基幹教育科目(平成31年度基幹教育)は令和元年基幹教育科目とは改名されません。令和の名を冠された基幹教育は来年度から始まります。
 改元はリセットであり、新しい時代の始まりですが、双六で振出しに戻るような劇的な時間の巻き戻しが起きるわけではありません。基幹教育の活動もまた、世の他の事々と同様に、平成から令和へと滑らかにかつ連続的に続いていきます。しかしながら、この時代の切り替えを契機に改めることができるならば、と思うことがないわけでもありません。たとえば、「授業」という呼び名の使用です。
 中央図書館からオンラインで日本国語大辞典を引いてみますと、授業の説明として、「学問、技芸などを教え授けること。学校などで教材教具を用いて、計画的に指導すること。」という説明に行き当たります。アクティブ・ラーナー育成を目指す基幹教育において、とくにその具体的実践科目である基幹教育セミナーや課題協学科目において、科目担当者が「授業をする」という認識を持つことは「暗に教え授けていることを認めている」のではないだろうか、と思うことがしばしばあります。
 アクティブ・ラーナーへと成長するための一つの指標として「自発的な問題提起、創造的・批判的な吟味検討ができる主体的な学び」を、ニューズレター先号の記事で挙げました。このような自発性、主体性を醸し出すものとしてPBL型の科目を設計し、遂行しているのが上の二つの科目です。その設計を思えば、科目における学生たちの学習活動は予定調和的にどこかに落ち着くのでなく、激しい化学反応の後に、想定されていた枠組みを乗り越え、はみだしていくことが、一番望ましい結果であるといえます。通常の範疇では、これは「教え授ける」と呼べるものではないでしょう。
 何か良い別の呼び名を提案できるわけではありません。しかしながら、上のような科目に関わる者の心構えとして、「安易に授業という言葉を使わない」ことが求められるのではないかと考えます。さらに、授業と呼ばずに、化学反応の嵐の中に学生とともに身を曝す取り組みと考えれば、この科目を担当してみようと考える方々の範囲も変わってくるのではないでしょうか。  貼られたレッテルに振り回されることなく、学生たちのアクティブ・ラーナーへの成長にいくばくかの助力ができればと思うとき、こまごまとした言葉の使い分けもまた大切であろうと思う次第です。