九州大学 基幹教育院 次世代型大学教育開発センター

学際教育に関するFDを開催しました

平成30年8月10日(金)リベラルサイエンス教育開発FD「これからの教養教育・学際教育を考える ~これまでの批判的検討と共に~」を開催しました。九州大学基幹教育院と九州大学共創学部の事例紹介、そして、教養教育や学際教育の歴史や事例を通した批判的研究をされている渡邉浩一先生(大阪経済法科大学)の講演と共に、これからの教養教育や学際教育について考える会となりました。後半の総合討論では、深堀聰子先生(九州大学)による論点整理を基に、それぞれの講演に関する理解を深めました。

開催概要

開催案内(PDF) ポスター(PDF)

【日時】 平成30年8月10日(金)14:00~16:45
【会場】
九州大学 伊都キャンパス センター1号館1303教室

【定員】 50名(先着順)
【参加費】 無料
【対象】 教養教育・学際教育に関心のある大学教職員、大学院生

【プログラム】
14:00~14:05 開会挨拶
野瀬健(基幹教育院 次世代型大学教育開発センター長・教授)

14:05~14:20 【事例紹介1】 九州大学 基幹教育院の取り組み
谷口説男(基幹教育院 副院長・教授)

14:20~14:35 【事例紹介2】 九州大学 共創学部の取り組み
岡本正宏(九州大学 総長特別顧問(共創学部担当)・名誉教授)

14:35~15:35 【講演】 「学際教育」の第三の波 ― 知的統合から知的協働へ?
渡邉浩一(大阪経済法科大学 教養部・特別専任准教授)

15:35~15:45 休憩

15:45~15:55 【論点整理】 深堀聰子(教育改革推進本部・教授)

15:55~16:40 【総合討論】

16:40~16:45 閉会挨拶 原田恒司(基幹教育院 副院長補佐・教授)

司会・進行:小林良彦(基幹教育院 次世代型大学教育開発センター・特任助教)

【共催】 九州大学 共創学部

開催報告

【参加者情報】
学外:14名(うち県外 10名)
学内:25名
合計:39名

【アンケート結果】

《満足度》

満足:5 概ね満足:4 どちらともいえない:0
やや不満足:0 不満足:0

《参考になった点》(抜粋)

  • 基幹教育がどのようなビジョンでどのように運営しているかお話を伺えて良かった。渡邉先生が仰ったように国立大学にしてはかなりイノベーティブな取り組みをしていることに気付かされた。来学期は基幹教育の授業を担当することになっているので、前もってバックグラウンドを知ることができて良かった。
  • 学際性を考えること自体が、そもそも各領域というものがどのように成立し、機能しているかについての考察の材料となるということが分かった。
  • 学際教育についての歴史や考え方、他大学の経験談など。
    【岡本先生からのコメント】課題そのものが学際であるだけに、課題解決策の提案の困難さが出てきます。「課題に向き合って、それに関連する専門知識を修得し、さらに解決策を模索する」という方法論を各課題に適用することは、日本の新しいリベラルアーツ教育ではないでしょうか。
  • 今後科目開発を行なう上で、学際的な要素をどのように取り込むか、あるいは取り込まないかについて考えるもととなるように思う。
    【岡本先生からのコメント】interdisciplinaryは、一つの専門領域にこだわらず個人が多様な学際的な知識・技術を修得することですが、社会的な課題には、様々なステークホルダーが関わることからinterdisciplinaryだけでは不十分で、多様な専門領域の知識・技術をどのように統合することで課題解決に結び付けることができるかの新たな教育手法が必要となります。transdisciplinary(超学際)とも呼べる、jigsawパズルで各ピースをどのように組み合わせて全体の絵を作り上げる(解決策の提案)方法論の修得がキーとなると思われます。
  • 渡邉先生のプレゼンは概念整理、理念的考察、実践的提案のすべてを含み、非常に参考になった。とくに、「教員ひいては学生が実際に「学際」してみせること」という言葉には重みがあった。
    【岡本先生からのコメント】従来型の原理追求型の専門知識の伝授のみではなく、課題解決策の提案のために複数の学際的な知識・技術をいかに統合させるのかの教育は、ほとんどの教員がこれまで教育されていないことから、学生だけでなく教員のマインドセットが必要で、教員も率先して、「実際にやって見せる」ことも必要ですが、学生にそれを押し付けないようにも注意を払う必要があると思います。

《分からなかった点・もっと説明してほしかった点》(抜粋)

  • 共創学部のようなかたちの、二つ、三つの領域が複合しているような学部において、分野別参照基準のようなものを用いた質保証は可能かどうか。
    【渡邉先生からの回答】理論的には可能であると思います。全体としては教養教育、その下でコース別に分岐する、という形で基準設定できるのではないでしょうか(既にDP・CPという形で骨格は作られているものと想像しますが)。ただし、その基準に実効性を伴わせるためには、相当な努力を要するでしょう。教員の側が本気にしていない基準を学生に押し付ける、という形にならないよう、ファカルティの合意形成がなにより肝要かと思います。
    【岡本先生からの回答】分化された各専門領域(細目)から見ると総花的のように思えますが、課題に向き合って、それに関連する専門分野の知識を修得し、課題解決策の提案まで結び付けさせる目的志向型教育からみると、どれだけの難しい課題に向き合えることができたかの評価は質保証に繋がると思います。
  • 学際、文理融合は同じような捉え方なのかどうか?答えは出るものなのか?芸術系科目も含めるのならば、学際の考え方が範囲が広いような気もするが、大学単位・研究者単位で捉え方が異なるように、はっきりしない。
    【渡邉先生からの回答】ご指摘、ごもっともと思います。「ディシプリン」「専門」「学部」等、既存のシステムへの「アンチ○○」に終始し、それ自体の中身(inter-、fusion、integration等の具体的ありよう)については曖昧なままにとどまっている、というケースがしばしば見受けられます。
    答えが出るかどうかはファカルティ次第かと思いますが、学生は(それに反発することも含めて)教員側のテーゼ提出を期待するものではないでしょうか。
    【谷口先生からの回答】言葉にこだわる必要はないと考えています。説明をする際に聞き手に合わせて分かり易い言葉で話せば良いのではないでしょうか。
    【岡本先生からの回答】捉え方は各研究者、教員で違って当たり前ですし、統一する必要はないと思います。これは、すでにdiscipline based learningにどっぷりつかった教員同士でおこる質問だと思います。学生が最初から、「これは学際、これは文、これは理」とカテゴライズしないように考えなければならないと思います。学生の捉え方の多様性は認めるべきです。
  • リベラルアーツとレベラルサイエンスの違いがいまいち分からなかった。リベラルサイエンスという言葉自体を聞いたことがなく、九大特有の言い回しなのか。サイエンスヘビーのリベラルアーツというニュアンスなのか。
    【渡邉先生からの回答】「リベラルサイエンス」という名称については、正直、私も少し違和感を覚えます(arts and sciencesとliberal artsがごっちゃになった感じがします)。あるいは、アメリカのSTEMのイメージでしょうか。この辺り、詳しいことはプログラムの策定にかかわった先生方にお聞きしてみたいところです。
    一般論として言えば、旧来の組織・プログラムとの差異化のためにある種の造語をせざるをえない、ということもあるのでしょう。しかし、それは悪くすると国際通用性のない名称を生みだしてしまうことにもなりかねません。この点、「研究」に際して払うのと同等の慎重さでもって臨む必要があるだろうと思います。
    【谷口先生からの回答】リベラルサイエンスは今後基幹教育院が展開していく新しい科目群の総称として掲げている新しい造語です。リベラルアーツも理解は色々あるようで、リベラルサイエンスをより明確化できればと目下試行錯誤中です。

《その他》(抜粋)

  • 全体を通して、文理というはっきりとした線引きにこだわる(囚われる?)のが日本の伝統かなと感じた。文理融合というフレーズを入学後は使わないようにすると仰っていた岡本先生(共創学部)には強く同意する。トラディッショナルなディシプリンを越えた研究&学習するということに意味があって、元々のディシプリンが文系だったのか理系だったのかカテゴライズするのは無意味だと思う。ましてや、いわゆる同じディシプリンや部局内でもお互いがどのような研究をしているか知らないケースも多くあるようで、その繋がりを作り深めることが先決かなと感じる。九大は縦割りの傾向が強いように感じるので、まずはフィールドを平らにすることが大事だと思うし、同じ部局でも研究室をまたぐ研究や学習は立派なインターディシプリナリーと呼べるのではないかと考える。
    【渡邉先生からのコメント】「文理」への囚われについては、ご指摘の通りかと思います。しばしば指摘されるように、これは学部選択を前提とした日本の大学受験システムから来るものでしょう。一方で、「ディシプリン」への意識については、一定のプロフェッションをもって生きて行くうえでは、なくてはならないものだとも思います。そのうえで、自分の専門性を相対化する視点(とそのための言葉)をもつ、あるいは、そういう人が組織内に一定数いるようにする、ということが学際・文理融合学部のはたしうる積極的役割と言えるのではないでしょうか。
    【谷口先生からのコメント】教育プログラムを作る立場からは、文系理系と区別するよりは人文社会科学と自然科学の間にあるものの見方・考え方・学び方の差異として、了解しておくべきところはあろうかと思います。教育現場の現状に鑑みれば、それを文系・理系と呼び分けることもやむなしと考える次第です。
    新しいカリキュラムデザインというのはなかなか困難なもので、岡本先生の「文理融合を使わない」という言葉遣いが既に文理融合に脚を捕らわれた考え方であり、全く新しい学問像を完全には描けていないとも言えます。この辺り、言葉遣いに拘泥するよりも、より明確なカリキュラムデザインを描いてみせる方が重要であろうと思います。
    「問題解決」という視点から見れば、インターディシプリナリーであるかどうかの議論は全くナンセンスです。学際という言葉も、時代の求める問題解決へ向けての一つのキーワードとして理解すれば十分であろうと思います。
    【岡本先生からのコメント】講演でもお話ししたように、学生は高校1年の終わりに文理の選択、続いて2年には科目の選択、学部の選択と次から次に袋小路に入れ込まれて受験に臨むことは、受験勉強の効率化を重視したやり方だと思います。学生が大学になって社会を見る時間ができて初めて、自分の進路選択のミスマッチに気づくケースはよくあるものです。高校教育をいきなり変えることができなくても、学生を受け入れる大学教育の多様性(discipline based learning + problem based learning, jigsaw type of collaborative laeningなど)を取り入れて変革を始めることがまず第一だと考えます。
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