研究会についてAbout us

研究会の目的について

 このたび、「日本列島における鷹・鷹場と環境に関する総合的研究」をテーマに研究会を立ち上げることになりました。
 
 本研究会の目的は、日本列島において鷹を頂点とする生態系を維持するための環境条件が、いかなる相互作用のもとに保全されていたのかという問題を解明するために、江戸時代の諸藩に設定されていた鷹場に着目し、鷹場環境を構成する個々の条件(環境因子)を政治・制度・生活・文化・空間などの視点から総合的に検討し、生物多様性を守り、持続可能な社会を維持するための確かな「知」を歴史学の立場から発信していくことにあります。

 ここでいう鷹とは、生態系の頂点に位置することから、すべての生き物を象徴した概念として用いています。また、鷹場は、御猟場、御留山など、生き物を確保するために設定された禁猟(漁)区や立ち入り禁止区域を含みこんだ概念として用いています。そこで、本研究会では、鷹を頂点とする生態系のなかから、どのような生き物が保護や増殖の対象となり、自然保護地域に類する鷹場が設定され、その結果、増殖しすぎた生き物たちの管理がなされていたのか、という問題を明らかにすることで、人が環境に与えた影響、また逆にその環境変化から生じた人の生活や文化活動、政治権力による政策や制度など、相互作用の歴史的過程を明らかにし、多様な環境因子をさぐっていきたいと思います。


研究代表者 福田 千鶴


研究組織の概要

 鷹の歴史は世界的に古く、日本でも権力者の力を誇示する象徴として古代天皇の鷹狩が知られ、狩猟を重要な職能の一つとしていた中世武士の狩猟文化となって展開しました。中世武家社会では、鷹を支配することが領主権の一つとなり、中世領主たる武家の文化と深く結びついていきました。そこで、伝統・文化班は、そうした古代以来の鷹をめぐる文化的営みが、いかに継承されて伝統化し、王権・領主権との結びつきを維持しつつ、伝統的な「知」として近世社会に広く伝播していくのか、といった問題を検討します。

 次に、鷹場を通しての環境支配の具体相を解明するために、東日本班西日本班を設定します。二つに分ける理由は、日本列島の植生は基本的に東の落葉広葉樹林帯、西の照葉樹林帯として分布するからです。換言すれば、東と西の鷹場では異なる環境因子を条件として自然環境が保全されたと考えられますので、各班でそれらの特性(東西の相違点)を明らかにしつつ、個々の鷹場を分析することが課題となります。


  さらに、下図は一例として福岡藩で設定された鷹場の範囲(網掛部分)を示したものですが、城下町福岡を中心に山間部に及ぶ広範囲に設定されていたことがわかります。鷹場は決して村落だけの問題ではなく、都市、街道、山林を広く含む領域であり、人の生活や環境に与えた影響の大きさは一目瞭然です。そこで、生活・空間班では、鷹・鷹場が人や環境に与えた影響を多角的に検討してもらいます。鷹匠や鷹関係役人の身分・格式、狩猟によって得られた諸鳥や皮革の流通・献上儀礼、鷹場という空間が都市・村落・山林を覆うように重層的に設定されていた意味など、従来の近世史研究に鷹・鷹場の視点を入れることで、近世の全体像を再構築できればというのが大きな目標です。

円内は5里(20km)
寛永3年(1626)福岡藩の留山と鷹場
(福田千鶴「近世初期福岡藩における鷹場支配の展開」『地方史研究』231、1991年)より転載





科学研究費補助金基盤研究(A)

日本列島における鷹・鷹場と環境に関する総合的研究
研究代表者:福田 千鶴(九州大学)