鷹・鷹場・環境NEWS vol.12017.4.25

鷹・鷹場・環境NEWSの創刊について/福田千鶴

 平成29年度を迎えました。文部科学省科学研究費基盤研究(A)「日本列島における鷹・鷹場と環境に関する総合的研究」(研究代表者:福田千鶴)も、2年目に突入です。これまでに、鷹・鷹場・環境研究会のメンバー同志の交流をはかるために、『鷹・鷹場と環境 NEWS』を23号まで発行してきました。これは研究内容を含むとはいえ、自己紹介を兼ねていましたので、いくぶんプライベートな内容を含んでいました。そこで、今年度からは『鷹・鷹場・環境 NEWS』と改めて、研究に特化した内容のNEWS LETTERとして刊行し、HPでも公開して、研究会の交流のみならず、広く情報を発信する場へと変えていきたいと思います。
 よろしくお願いいたします。


第2回研究会の記録

開催日:2017年1月3日~5日

 鷹・鷹場・環境研究会の第2回研究会を2017年1月3日から5日にかけて開催した。当初は、3日に浜離宮恩賜庭園にて予定されていた諏訪流放鷹実演会を観覧するはずであったが、鳥インフルエンザの影響で急きょ中止という緊急事態となった。ビルの上から庭園まで舞い降りる鷹の雄姿を期待していただけに、なんとも残念なことであった。当日に向けて準備を進めていた諏訪流放鷹術保存会の皆様にとっても、なんとも残念なことであった。
 そのようななか、相馬拓也さんのご尽力で、諏訪流放鷹術保存会の本拠地である青梅市において、放鷹の実演をみせていただけることとなった。鷹を至近距離でみることができ、また実際に据替の体験をさせてもらえるなど、貴重な時間をすごすことができた。この場を借りて、諏訪流保存会の皆様には、心よりお礼申し上げたい。

 翌4日は九州大学東京オフィス(有楽町)において、研究会となった。プログラムは以下のとおり。
 ・日本古代の王権と鷹狩 森田喜久男
 ・中世の鷹狩りに関する研究の現状と課題 中澤 克昭
 ・書評 根崎光男著『犬と鷹の江戸時代』 山﨑 久登

 古代・中世史の鷹狩研究をリードする森田・中澤両氏からの報告は、時間を忘れるほど興味深い内容で、議論も尽きることがなかった。また、近世史の放鷹研究の第一人者である根崎光男氏の最新の成果についても山﨑氏の的確な紹介により、研究会の今後の課題が明確化されたように思 う。大変充実した研究会となり、1日の研究会では時間が足りなかったというのが、メンバーに共通した感想であったように思う。
 3日目は、メンバー各自において東京近郊にて文献調査を行った。
  なお、諏訪流放鷹術保存会の見学記録を藤實久美子氏、また森田喜久男氏と中澤克昭氏の報告要旨を以下に載せる。山﨑久登氏の書評は、『鷹・鷹場・環境研究』創刊号(2017年3月刊行)に掲載した。



見学会参加記:諏訪流放鷹術見学/藤實久美子(ノートルダム清心女子大学)

満面の笑みの座長福田とそれを危なげに見守る
田籠師匠と大塚鷹師(撮影:渡辺浩二)

 今回、見学を受け入れて下さったのは田籠善次郎・諏訪流第17代宗家・会長、大塚紀子・第18代宗家兼事務局長、稲田早苗鷹匠、仲野天都鷹匠補・藤村円門下生の5名で、本研究会からの参加者は14名であった。
 見学会は2部構成で、第1部は平屋の母屋、第2部は母屋に隣接する庭で実施された。敷地内には、ほかに餌用の鳩小屋、鷹犬の小屋などがある。


第1部 田籠善次郎会長のお話
 鷹狩の始まりはメソポタミア文明にまで遡るもので、アラブの国々では鷹の中でも隼が大切にされている。UAE(アラブ首長国連邦)の首都、アブダビ首長国の故ザーイド大統領がハヤブサを5000万円で購入したことは業界で話題になった。イギリスなどヨーロッパでブリーディングされたものの多くがアラブ諸国に輸出されているという。
 つぎにUAEのムハンマド皇太子の「御鷹場」を訪問した時の体験が語られた。モロッコには王族の「御鷹場」があり、テント仕立ての宿舎は豪奢であった。夜明けとともに鷹匠は始動する。到着したばかりの若い隼は1時間ほど運動させ(「上げ鷹」)、午前7:30に狩場に向かう。獲物はフーバラ(フサエリショウノガン)というツルの仲間であるという。
 韓国は鷹狩が盛んでなかったが、原発発注を日本と競っていた時期に、金大統領は月1回の頻度で、UAEを訪問した。帰宅後、早速、インターネットで調べてみると、韓国観光公社のHPに鷹狩の写真が掲載され、ユネスコ世界無形文化遺産に登録されている旨が記されていた。観光公社の下、鷹狩が国内で認知されるための活動を行っているようである。
 アメリカ合衆国には、現在、鷹匠は3,000人ほどいる。「鷹匠の庵」のHPには、確かにアメリカのハヤブサ基金(=鳥類保護のためのペレグリン基金)の記事がある。ネットサーフすると、ハヤブサ基金は農薬による環境破壊への危機感から、1970年に設立され、現在はアフリカ猛禽類保護に活動範囲が広がっているが確認される。


第2部 庭での実演
 14:15~実演が行われた。なお、冒頭でカメラ・フラッシュを禁止する旨の注意があった。また大塚鷹匠より、実演は鷹の訓練の一部であると伝えられた。いわゆる曲芸ではないということである。 実演に使用された鷹は、イギリスから輸入したオオタカ当歳(生後9か月位)の「紫野」(仲野鷹匠補)とモモアカノスリ(ハリスホーク)2歳「銀嶺」(大塚鷹匠)であり、モモアカノスリ3歳「琳」(稲田鷹匠)や藤村門下生のチョウゲンボウ1歳「深景」も写真撮影に使用された。実演はつぎのプログラム構成となった。

(1)「振替」の訓練
 「振替(ふりかえ)」は、据前(すえまえ、担当の調教者の左拳)から飛ばして、調教者以外の左拳に据替、再び据前に戻すものである。2つの地点を行き交わせる。オオタカによる振替では、据前は仲野鷹匠補、受け手は田籠鷹匠であった。
 受け手の田籠鷹匠は、「ホッ、ホッ」とやさしく声をかけて呼ぶ。餌合子(餌入れ、蓋・身ともに見た目よりも重い)を叩いて音を出す。呼子(笛、笛の音の特徴は失念)を吹くなど、鷹の気をそらしつつ、引き付ける。
 しかし、なかなか動かない。動いたと思えば安全な場所に逃げる習性から木立に隠れる。呼ぶこと暫しであった。無理はしない。じりじりしない。慌てない。しかし、上手に急かす。このような田籠鷹匠の様子を皆で見守った。
 モモアカノスリによる「振替」は3・4回成功した。このうちの2回は福田座長が受け手を務め、左手に鹿革の手袋をはめて、鷹を据え、据前の大塚鷹匠に戻した。緊張の面持ちながらご満悦な座長に参加者より「お!!」の歓声が起こり、撮影タイムとなった。この訓練は14:40まで行われた。

(2)向かいの山頂からの振鳩
 15:05仲野鷹匠補が、向かいの山の頂付近にゆき、そこから様子を見計らって、飛び立たせた。庭では、田籠鷹匠と大塚鷹匠が、頃合いをみて、「振鳩」(忍縄という紐に結んだ鳩を、円を描くように振り回す)をして待つ。鷹は矢のように降りて、空中で鳩を捕らえた。「振鳩」は鷹の本能を利用したもので、狩りの技術を仕込む時に行う。

(3)道具・餌などについて
 15:10~田籠鷹匠、大塚鷹匠、稲田鷹匠、仲野鷹匠補、藤村門下生を囲んで、いくつかのグループに分かれてフリートークが行われた。
・鷹や鷹匠が身に付けている道具
 オフ・シーズンに道具作りをする。 日本では鷹の尾羽に鈴板と鈴を縫い付ける。現在は、尾羽に発信器をつける場合もある。
・鷹匠の服装・装束
 現在の服装は羽織型の上衣が特徴的で、これにハンチングを被る。これは故花見薫諏訪流第16代宗家が宮内庁に奉職時代に着用した様式で、保存会では花見氏に敬意を払い踏襲している。
 江戸時代、諏訪藩に仕えた諏訪流鷹匠によれば、鷹を献上する祭事を行う時には紫装束が許可されたといわれている。
・鷹の技(わざ)
 江戸時代の将軍の鷹は、大物の鶴をとる。このため鶴捉の鷹を育てる必要がある。自然界の鷹は自分が傷つくような獲物は狙わない。つまり、あえて鶴は捕らない。 鷹は水辺で鴨などの水鳥を捕ることができる。 鷹は当歳の茶色の羽のうちから訓練する。
・鷹の餌鳩
 白子鳩(赤い肉)は消化もよく、力になるが、現在は保護鳥のため使われていない。 レース鳩は筋肉質だが、脂肪が多いため、皮や脂肪を取り除いて使う。
 以上が、見学会の参加記録である。
 田籠鷹匠の話からはアラブ諸国、イギリス、アメリカでの鷹狩の目的・質の違い、アーカイブ蓄積の配置について、知ることができた。また「振替」の訓練では用心深く、ナイーブな鷹の生態を実際に見ることができた。焚き火のもとで見守る空気感は、編集された映像とは違う。有意義な見学会であった。
 当初、東京都中央区の浜離宮恩賜庭園で実施される放鷹観覧会「新春の空に鷹が舞う!放鷹術の実演」で見学が予定されていた。だが、高病原性鳥インフルエンザウイルスが確認されて、急遽、変更された。運営・実施にあたり、諏訪流放鷹術保存会の皆様、福田千鶴・座長、相馬拓也・早稲田大学高等研究院助教の御尽力があったと思います。深く感謝します。

【付記】脱稿にあたり、大塚鷹匠に貴重なご意見を頂戴いたしました。懇切丁寧にご指導を賜わりましたことに、感謝の意を表したいと思います。


報告要旨 日本古代の王権と鷹狩/森田喜久男(淑徳大学)

 本報告は、日本古代の王権が主催する鷹狩について概観したものである。
  まず、王権の鷹狩を支えた養鷹・放鷹官司の変遷について、ヤマト王権の段階の鷹甘部や律令制下の主鷹司・放鷹司を中心に論じた。そのことに関連して鷹狩に従事した鷹飼についても言及し、「尋常の鷹飼」と「猟道を知る親王公卿の鷹飼」の二類型の鷹飼の実態を明らかにしようと試みた。
 また、鷹狩が行われた猟場である禁野の実態についても触れ、平安時代前期に増加しつつ民業と対立している点を問題とした。さらに『新儀式』を素材に、野行幸と呼ばれる儀式としての鷹狩の次第について考察し、鷹狩とセットで実施される山野河海の支配を確認する儀礼の重要性を指摘した。その上で、昌泰元(898)年10月に実施された宇多上皇主催の競狩の実態についても考察し、この競狩について醍醐に譲位した後も自身が国政を仕切るという決意の現れであることを指摘した。最後に天皇や上皇の代理で諸国に派遣される狩使についても考察した。


報告要旨 中世の鷹狩りに関する研究の現状と課題/中澤克昭(上智大学)

 まず、中世史研究において狩庭・鷹栖などに言及した古典的な研究として、新領主制論および国衙軍制論をあげ、つぎに殺生禁断に関する諸研究を、
 ① 荘園領主の領域支配イデオロギーとして、
 ② 呪術性の発見、
 ③ 王権論へ、
 ④ 環境史へ、
と整理した。
 つぎに、贈答儀礼および路頭礼の研究を紹介し、王権と狩猟の関係については、
 ② 王朝の鷹飼、
 ③ 殺生禁断令と王権、
 ④ 室町殿・戦国大名・天下人、
とまとめた。
 地域として、信越国境に位置する秋山郷(栄村)、個別の家については、祢津氏と諏方社、西園寺家および持明院家に関する研究を紹介し、近年最も研究が盛んな鷹書・鷹詞・鷹歌の研究については、①文学研究者による先駆的な論考、②堀内勝氏を中心とした鷹書研究会の成果、③三保忠夫氏の『鷹書の研究』、④山本一・二本松泰子・大坪舞三氏の論考などをあげて概観した。
 課題については、まず、『放鷹』史観の克服と鷹道流派形成過程の解明、あわせて中世神話としての鷹説話・注釈の豊かさの発見やアジアのなかの鷹狩りという視座の重要性を指摘した。さらに、
 ①獣猟(巻狩)との差異、「罪業」の浅深(軽重)、
 ②鵜との差異、
 ③他の芸道・儀礼との差異
 などについて比較・考察する必要があること、中近世移行期の問題として、雉から鶴へと最高の獲物が変化した要因と獲物の意味を問うことの重要性を指摘した。


展覧会・講演会情報 肥後の里山ギャラリーセミナー

2017年4月8日(土) 肥後の里山ギャラリー
講演会の様子

 肥後の里山ギャラリーでは、永青文庫展Ⅲ「永青文庫に舞う鳥たち―鷹狩から絵画・工芸・装束まで―」と題して、2017年4月17日(月)から5月27日(土)まで展覧会が開かれます。
 この展覧会は、今年の干支・酉年にちなんで永青文庫コレクションの中から鳥に関する資料や作品を精選し永青文庫を彩る鳥の作品を一堂に展示するもので、鷹狩に関する資料や鷹場の絵図、屈指のコレクションといわれる鷹書、6代藩主・重賢の日記や写生帖などが展示されます。
 4月8日(土)には、研究会メンバーの水野裕史氏(熊本大学教育学部)の講演会がありました。「博物大名・重賢の眼差し~武将と鷹の意外な関係~」と題して、肥後熊本藩の名君として著名な細川重賢が命じて書写させた《游禽図》(宝暦6年:1756年)や《群禽之図》などを読み解きながら、「果たして重賢は、これらの鳥たちの本質を見た目の美しさで収集し、また絵画として描かせ、鑑賞していたのだろうか?」という謎に迫り、鷹のもつ「英雄」としての象徴性や武家との関係性などについて、帝王学との関わりのなかで鷹を位置づけるべきことを強調されていました。鷹図の解説では、鷹の種類だけでなく、鷹の成長過程もきちんと鷹図には描かれているのだとわかり、また「なるほど」と思う鷹図の読み解き方についての知見もたくさん披露され、学ぶところの多い講演会でした(千)。


鷹・鷹場・環境関連の出版物情報/2016年10月~2017年3月

・野田研一・奥野克己編『鳥と人間をめぐる思考―環境文学と人類学の対話―』(勉誠出版、2016年10月)
 *相馬拓也「カザフ騎馬鷹狩文化の宿す鷹匠用語と語彙表現の民族鳥類学」、343頁-365頁
・ロバート・A・アスキンズ著黒沢玲子訳『落葉樹林の進化史』(築地書館、2016年11月)
 *第6章 孤立林と森林性鳥類の減少
 *第7章 オオカミが消えた森の衰退
・村田眞理「鷹狩(一)(二)」(『熊本城』復刊号104・105号、2016年11月・2017年2月)
・東 昇「十九世紀肥後国天草郡高浜村庄屋上田宜珍の家祖調査―美濃大井の根津甚平と信濃祢津、鷹―」(『京都府立大学学術報告』人文68、2016年12月)
・東 幸代「近世の鯨と幕藩領主―丹後伊根浦の捕鯨を手がかりとして―」(『史林』100-1、2017年1月)
・『鷹・鷹場・環境研究』創刊号(2017年3月)


受贈図書

・めぐろ歴史資料館:目黒区立教育会館郷土資料室編『将軍の鷹狩りと目黒』、1987年
・さいたま市立浦和博物館:浦和市郷土博物館編『特別展 紀州鷹場』、1988年
・足立区郷土博物館:足立区立郷土博物館編『鷹狩り・その技とこころ 』足立区立郷土博物館紀要第10号、1989年
・江戸川区教育委員会:江戸川区教育委員会編『古文書にみる江戸時代の村とくらし1 鷹狩り』、1989年、江戸川区郷土資料室編『江戸川区郷土資料集』第7集、江戸時代篇(四)鷹狩に関する古文書(その一)、1975年、同編『同』第8集、江戸時代篇(五)鷹狩に関する古文書(その二)、1976年、同編『同』第11集、江戸時代篇(八)鷹狩に関する古文書(その五)、1976年
・久喜市公文書館:久喜市公文書館編『第9回企画展 久喜鷹場』、1998年
・板橋区郷土資料館:板橋区立郷土資料館 編『いたばし動物ものがたり―自然・狩猟・見世物―」、2000年
・杉並区郷土博物館:杉並区郷土博物館編 『特別展図録 将軍家の鷹場と杉並』、2011年
・春日部市立郷土資料館:春日部市郷土資料館編 『特別展図録 最後の将軍がみた春日部:野鳥と御鷹場・御猟場』、2014年
・戸田市立郷土博物館:戸田市立郷土博物館編 『特別展図録 将軍の鷹場:戸田筋』、2014年
・岐阜県高山陣屋管理事務所:高山陣屋管理事務所編『特別展図録 幕領飛騨の御巣鷹山:江戸へ送られた鷹の雛たち』、2015年
・(財)徳川記念財団:(財)徳川記念財団編『徳川将軍家と鷹狩り』、2005年


<バックナンバー>

鷹・鷹場・環境NEWS vol.1 (2017.4.25)  (PDF版)

鷹・鷹場・環境NEWS vol.2 (2017.10.11)  (PDF版)

鷹・鷹場・環境NEWS vol.3 (2018.2.1)  (PDF版)






科学研究費補助金基盤研究(A)

日本列島における鷹・鷹場と環境に関する総合的研究
研究代表者:福田 千鶴(九州大学)