鷹・鷹場・環境NEWS vol.32018.2.1

第3回研究会の記録

開催日:2017年11月11日~12日

 鷹・鷹場・環境研究会の第3回研究会を2017年11月11日(土)から12日(日)にかけて鹿児島県出水市で開催した。
11日は、ツル研究を進めている久井貴世氏のご案内で、出水市内のツル飛来地やツル観察センターにおいて、ツル観察をおこなった。気品あるマナ鶴や、やや小ぶりのナベヅル・クロヅルの群れ、珍しいカナダツル等を実見し、鷹狩の獲物としてのツルが鷹にとっていかに巨大な危険な鳥であるか、ということが実感をもって理解できるようになった。まさにフィールドワークならではの大きな成果であった。また、ツルといえば「丹頂鶴」という固定観念をも大きく覆す貴重な体験となった。こうして、心配していた鳥インフルエンザの影響もなく、無事に調査を終えた。ご案内いただいた久井氏には、心よりお礼申しあげたい。
 調査終了後は、宿舎において次年度以降の研究会の打ち合わせをおこなった。また、越坂裕太氏(九州大学大学院M1)が9月に実施した第1次モンゴル調査について報告し、情報の共有化を図った。
 12日は出水市ツル博物館クレインパークいずみにおいて、研究会を開催した。プログラムは以下のとおり。      
 ・仙台藩の鷹匠について  
   堀田 幸義(宮城教育大学)
 ・江戸時代の史料から復元するツルの生息実態と人との関わり  
   久井 貴世(北海道大学/(公財)日本生態系協会)      
 ・日本近世出版と鷹書・鷹図・鷹狩図  
   藤實 久美子(ノートルダム清心女子大学)      
 堀田報告は、仙台藩における鷹匠組織、鷹匠の存在形態、勤務内容、身分格式、生活等について詳細な分析がなされ、仙台藩では延宝期に鷹匠の家職化・組織の改編が見られることが指摘された。藩レベルでの鷹匠の実証研究が皆無である点に鑑みても、貴重な研究報告であった。      
 久井報告は、江戸時代に広域的に十数羽から数十羽程度の群れでツルの渡りがあること、江戸期のツルの生態にはヒトの活動が深く関係したこと、また古文書上の鶴の表記と生態的な特徴からの同定作業、史料上で「鶴」と現れた際に多様なツルを想定する必要があること等が確認され、とても刺激的な報告となった。      
 藤實報告は、写本が中心の鷹書研究に加えて、版本をいかに位置づけるかという問題提起的な報告であった。公刊された鷹書・鷹図・鷹狩図の類型化、江戸時代の鷹狩図の禁忌性を指摘、河鍋暁斎『絵本鷹かがみ』の刊行時期についての検討等、興味深い内容だった。      
 いずれも内容の濃い、充実した報告であったことに加え、前日のツル観察の体験を経たことで、史料解釈に緻密な視点を持つことができるようになったことが、今回の研究会の最大の成果だったのではないかと考える。      
 また、出水市ツル博物館クレインパークいずみ主任学芸主事の原口優子氏からは、大鷹や角鷹のはく製資料の閲覧をお許しいただき、実際に手にとって個体の大きさを確認させていただくなどの便宜をはかっていただいた。前日、実際に鶴の大きさを確認していた記憶の新しいなかでのことであったため、得難い体験となった。研究会会場をご提供いただいた出水市ツル博物館クレインパークいずみの関係者の皆様とともに、この場を借りて心よりお礼を申し上げたい。      



ツル観察会参加記:福田千鶴

 2017年11月11日13:30~16:00 鹿児島県出水市ツル飛来地において、ツルの観察会をおこなった。案内者は、北海道大学大学院文学研究科専門研究員・公財)日本生態系協会専門研究員であり、歴史鳥類学・生命環境学を専門とする久井貴世氏。「タンチョウと人との関係史」という研究テーマで、江戸時代のツルを研究対象とし、その分布や季節移動など、ツルの生態だけでなく、狩猟や利用法、さらに当時のツルの「保護」や人との軋轢など、ツルと人との歴史的・文化的な関わりを研究しておられる。突然、今回の案内をお願いしたにもかかわらず、ご快諾をいただいき、多くの労をとっていただいたことは感謝に絶えない。      
 JR出水駅に集合し、17名でマイクロバスに乗り込み、ツル飛来地の東干拓地・西干拓地を訪ねたあと、さらにツル観察センターに移動した。      
 東干拓地では、到着後すぐにクロヅルが飛去したのは残念だったが、ナベヅル、マナヅル、カナダヅルを確認できた。フィールドスコープを使いながらツルを観察し、多くのツルの渡来を確認できた。観察センターでは、室内でボランティアガイドの解説を受けたのち、屋上の展望スペースでナベヅルとマナヅルを観察しながら、両種の識別について久井氏から説明をうけた。その後、荒崎展望公園に移動し、ツルの渡来地である出水平野を一望した。前日に久井氏が下見で観察した自然ねぐらは水位の関係でみられなかったが、人工ねぐらへ戻るために展望公園上空を通過するナベヅルの親子を観察することができた。      
 最初はどれも同じにみえていたツルだったが、久井氏の解説をうけ、観察しているうちに、ツルの種別が識別できるようになった。今後の史料分析等において、これら生態学的な知識を役立てていくことで、さらに鷹や鷹場をめぐる環境の理解を深めることができるだろう。そのこと大きく期待させる意義ある見学会となった。      


報告要旨 仙台藩の鷹匠について/堀田幸義(宮城教育大学)

 鷹好きな歴代藩主を持つ仙台藩伊達家では多くの鷹匠たちを組士の1つとして組織化していたが、鷹匠組士に関する研究はほかの組士同様に進展しておらず、本報告では、こうした状況をふまえ、鷹申次-鷹匠頭-鳥屋頭-鷹匠組士と連なる鷹匠組織の概要を押さえ、鷹匠の存在形態について素描した。最初に、彼ら鷹匠や鷹匠頭(後の鳥屋頭)の先祖および召し抱えの由緒について整理し、次に、鷹匠組のあり方とその歴史的変遷に関して、延宝期、元禄期、享保期にみられた改組と鷹匠組の位置づけの変化についてまとめた。そして、彼らの日常的な勤務内容や役人に登用される鷹匠たちの存在を指摘し、藩から「鷹事家業」を命ぜられた鳥屋頭佐藤家について紹介し、藩命による鷹事の家業化は18世紀に入った享保年間以降のことであることを指摘した。最後に、鷹匠の身分格式について、家格や禄高、身上がり事例、住んだ場所などから考察した。      

    

報告要旨 江戸時代の史料から復元するツルの生息実態と人との関わり/久井 貴世(北海道大学/(公財)日本生態系協会)

 江戸時代の史料に記載された「鶴」の記録をもとに、①史料上の「鶴」の同定、②江戸時代当時のツル類の分布と生息環境、③渡りの経路、④権威によるツルの保護、⑤ツルによる農業被害と人馴れ、⑥人間によるツルの利用について検討した。      
博物誌史料に記載された「鶴」は、「真鶴」はマナヅル、「黒鶴」はナベヅルを指すなど、多くの場合、生物種としてのツルへの同定が可能である。当時のツルの渡来地は全国各地に大小様々な規模で分散し、それぞれの地域を繁殖地・越冬地・中継地として異なるかたちで利用していた。現代とは全く異なる渡りの経路も存在していたと推測できる。鷹狩の獲物や贈答品として重要性が高いツルは、権威によって「保護」され、ツルへの餌付けや渡来環境の整備なども行われていた。一方で、過度な「保護」がツルの人馴れや農業被害を助長させた可能性がある。江戸時代の「鶴」の主な用途は、ナベヅルやマナヅルが食用、タンチョウは飼育用が多かったと考えられる。ツルは種によって利用方法や需要に違いがあり、「鶴」としてひと括りにされるものではないことを指摘した。

報告要旨 日本近世出版と鷹書・鷹図・鷹狩図/藤實久美子(ノートルダム清心女子大学)

 鷹に関する知識の公刊状況について、寛永年間に始まる商業出版界の流れと、本屋の階層性を指標に用いて、問題提起的に作業の途中報告をおこなった。
〈株仲間である本屋から出版された書物〉 寛永13年(1636)刊『鷹百首』と『鷹三百首』、同20年刊『新増鷹鶻方』(朝鮮本の和刻本)が早い。これらに貞享元年(1684)刊『武用弁略』、宝永6年(1709)刊『鷹やしない艸』、享保5年(1720)刊『画品筆鋒』が続く。いずれも享保の書籍取締令以前の発刊である。
〈より下層の草紙屋から出版された摺り物〉 大津絵十種の一つ『鷹匠』が古い。画題『鷹匠』は近松門左衛門の作品を契機に急速に広まり、五穀豊穣などの効力をまとったとされる。鷹図は諺「一富士二鷹三茄子」とともに、寛政期以降に歌麿・北斎・広重などの商品を生んだ。
〈鷹道具・鷹狩図〉 明治6年(1873)以降、新政府の殖産興業・伝統工芸保護、および懐かしき「徳川」思潮のなか立ち現れる。なお、両図は近世社会では禁忌とされた可能性がある。鍵は河鍋暁斎『絵本鷹かがみ』の刊行時期の確定にある。
〈課題と提言〉 (1)知識の階層性(幕府の鷹匠のヘゲモニー、藩鷹匠の口伝、写本、刊本)の解明のための隠れた刊本の博捜とテキスト分析。(2)知識の利用・実用の実態の解明。(3)研究対象が広範にわたるため、和歌書・画譜・本草書・軍書・摺り物、明治以降の動向と細分化して、参加者各位の専門性を活かした個別研究を行い、最終的に総合化するとった研究方法がありえるのではないか。


4th International Festival of Falconry参加記:水野裕史

図1 Bin Zayed Falconry and Desert
Physiognomy School
図2 ハヤブサを据える福田座長

2017年12月5日から10日にかけて、アラブ首長国連邦アブダビにて開催された4th International Festival of Falconryに、座長の福田千鶴氏、相馬拓也氏、水野の3名で参加した。各国から400名を超す鷹匠や研究者が集まり、世界中の鷹狩事情や文化、そして歴史と文化を知る機会となった。      
     


Bin Zayed Falconry and Desert Physiognomy School

     
 5日と6日は、Bin Zayed Falconry and Desert Physiognomy School(図1)にて開催されたワークショップに参加した。様々なハヤブサの展示(図2)、多くのワークショップが催され、充実した二日間であった。6日の夕方には、夕刻より隣接する砂漠キャンプに移動し、5回にわたる隼の訓練を見学した。日本では得られない貴重な体験となった。      
 ワークショップでは、日本ワシタカ研究センター所長の中島京也氏と交流し、河鍋暁斎「鷹かがみ」を始めとする絵画史料について、意見を交換した。またドイツのKarl-Heinz Gersmann氏を始めに、各国の鷹狩文化の歴史について、意見交換し、見識を深めることができた。      
 ただ、時間通りを旨とする日本人にとっては、鷹揚な中東の進行には辟易した。ワークショップの場所が突如として変更されたり、数時間待ったりと、辛かったこともある。      
     

Louvre Abu Dhabi

     
 7日には、2017年11月11日に開館したばかりの、Louvre Abu Dhabi(図3)を観覧した。Louvre Abu Dhabiでは、600点を超える所蔵品に加え、フランスの13の美術館・博物館から貸し出された300点が展示されている。「白」を基調とした展示空間に、「Prints and Drawings」や「The Art of War」などといったテーマに沿った展示構成となっている。また、聖書や仏典の展示では「黒」色をベースとした空間の演出がされ、随所に展示の工夫が見受けられる。また「南蛮屏風」や「誰が袖図屏風」などの日本美術も幾つか展示されており、オリエントの香りが漂うUAEらしい展示空間であった。
図3 Louvre Abu Dhabi
     
 加えて、UAEの国鳥が鷹であるため、鷹狩に関する美術品が多く展示されていたことは特筆される。展示品の多くが撮影可能であり、多くの画像データを得ることができた。      
 7日午後には、8日と9日に開催されるKhalifa Parkの展示のための準備をおこない、夜にはザ・リッツ・カールトン・アブダビ・グランドカナルにて催されたガラ・パーティーに出席し、アラブ料理に舌鼓を打ちつつ、各国の鷹匠や研究者の方々と交流した。      
     

Khalifa Park

     
 8日と9日は、Khalifa Park(図4)にて開催されたイベントにて3人ともにポスター発表をおこなった。事前に、参加国の威信を懸けた展示をするようにと主催者からの要請があったため、心して臨んだ。
図4 Khalifa Park
図5 海外の方に説明する報告者
     
 発表タイトルは、以下の通り。
・福田千鶴 History of falconry in Japan
・相馬拓也 Ethnography of Altaic Kazakh Eagle-Hunters: Art and Knowldege of Horse-Riding Falconry in Western Mongolia
・水野裕史 Aspects of Japanese Falconry Paintings
 各国の様々な方に我々の研究成果をアピールすることができたと思う(図5)。また、空き時間を利用して、各国のブースやテーマ別の展示を拝見し、情報収集をおこなった。例えば、アラブの先住民が鷹狩の際に連れて行くサルーキという犬種が披露されている展示があった(図6)。サルーキは、日本では古代において、すでに輸入されていることが知られ、例えば「春日権現験記絵」にはその姿が描かれている。
 また、我々以外にも幾つか日本の鷹狩の展示もあったので紹介したい。まず、日本の鷹狩の起源に関する展示である。日本の鷹狩の起源は、BC. 355と具体的な年代があげられて紹介されていた。典拠は書かれていなかったものの、他にも紀元前における日本の鷹狩の実情として紹介されているポスター展示もあり、日本の鷹狩が、紀元前から存在していることが海外では自明となっているようだ。帰国後、鷹狩の基本文献の一つである宮内省式部職編『放鷹』(吉川弘文館、1931年)を見ると、仁徳天皇43年(355)に始まることが日本書紀に記載されているとあり、これが日本における鷹狩の嚆矢とする。おそらく単純にADがBCと誤記されたのだろう。なお、1976年にアメリカで出版された日本の鷹狩の本(E.W.Jameson, The Hawking of Japan: The History and Development of Japanese Falconry. University of California, 1976)には、日本の鷹狩の発端を示す文献として『古事記』をあげており、神功皇后44年(244)を日本の鷹狩の起源年としていた。 
 加えて、女性鷹匠をテーマとしたブースでは、浮世絵が紹介され、日本にも古くから女性鷹匠がいると紹介されていた。これは文浪「男女鷹匠」(19世紀初、東京国立博物館蔵)を題材とした展示であった。しかし、日本ワシタカセンター・所長の中島京也氏のご教示によると、明治以前には女性の鷹匠はいないとのことであり、この展示にも疑問が残る。
図6 サルーキ

 会場では、様々な書籍も頒布、販売されており、多くの資料を入手することができた。帰国してから、幾つか目を通したが、日本の鷹狩について明らかに誤って解説しているものが多かった。例えば、日本の鷹書を中国のテキストとして紹介したり、浮世絵に描かれた鷹匠を中国の鷹匠として書いたり、あるいは19世紀の日本絵画を8世紀の作品として解説したりと間違って報告されているのである。以前、海外の研究者から平安時代の鷹狩絵画に関する資料紹介の打診を受けたのだが、現存していないと言って断ったことがある。同じ方の書籍ではないが、浮世絵や近代の鷹狩美術が古代の日本の鷹狩を表したものとして、人口に膾炙しているのかもしれない。先日、出水にて開催された研究会の報告であったように、本研究会の成果を海外に向けて発信する必要性を大いに感じた。
 最後に、全てをコーディネートしていただいた相馬拓也氏に心より感謝申し上げる。      

編集後記

年2回のNEWS LETTERの発行を予定しておりましたが、タイムリーな情報を提供することがNWES LETTERの役割であると考え、本日の発行となりました。ご多忙のなか、ご執筆いただいた皆様には心よりお礼申し上げます。とても充実した内容となりました。次回は、4月にお届けする予定です。お楽しみに(千)。      



<バックナンバー>

鷹・鷹場・環境NEWS vol.1 (2017.4.25)  (PDF版)

鷹・鷹場・環境NEWS vol.2 (2017.10.11)  (PDF版)

鷹・鷹場・環境NEWS vol.3 (2018.2.1)  (PDF版)






科学研究費補助金基盤研究(A)

日本列島における鷹・鷹場と環境に関する総合的研究
研究代表者:福田 千鶴(九州大学)