鷹・鷹場・環境NEWS vol.22017.10.11

第1次モンゴル調査隊 報告/福田千鶴

    

モンゴル到着
 2017年9月13日(水)から20日(水)にかけて、モンゴルにおけるカザフ騎馬鷹狩文化に関する調査をおこなった。成田発、ウランバートル経由でバヤン・ウルギー県に入る。研究会からは、岩淵令治・相馬拓也・福田千鶴・越坂裕太(記録係り)の4人のメンバーが参加し、これに動物写真家の稲田喬晃氏にご同行いただいた。モンゴルからはボロルマー・ウヌルバト氏(モンゴル大学大学院生)が通訳兼諸種の手配をご担当いただき、ウルギーではラシン・アリカン氏(相馬氏の研究補助者)にカザフ語からモンゴル語への通訳・各種手配の補助をお願いした。現地での移動は標識もない非舗装の道を長距離間の運転をせねばならないため、ジョコブ・ノケオ氏、ユルベク・スレン氏にウルギー滞在中の運転手をご担当いただいた。
 ジョコブ氏はモンゴル人として初めてエベレスト登山に成功した元軍人中佐で、名士として大変尊敬されており、どこに行っても歓待を受けていた。本調査においても、様々な便宜をはかっていただいたことに感謝申し上げたい。
 とはいえ、モンゴル、バヤン・ウルギーの第一印 象は、「木がない」の一言に尽きる。山は地肌がむき出しになっており、赤茶けた山の稜線が限りなく続く。緑の山に慣れ親しんでいる日本人には、まるで別世界だ。厳寒の大草原での調査の期待度が高まる。

残念ながら御日柄が良く
  日本の出発前に、モンゴルはかなり寒くなっていると相馬氏から聞き、完全防寒を準備して臨んだ調査だった。ウルギー空港に降り立った時も、かなり寒いと感じ、氷点下の調査かと身構えた。14日(木)の到着後は、はやる気持ちを抑えて、ウルギー県博物館(1948年設立)を見学した。1階は自然史博物館、2階はバヤン・ウルギーの歴史、3階はゲルを初めとするカザフの民俗について展示があった。鷹のいくつかの標本や獲物となる動物や鳥の様子をうかがうことができ、参考になった。なお、ゲルは中国語のパオ(包)のことで、カザフ語でキグズ(フェルト)・ウイ(家)と言い表す。
    

1羽目(バラパン)
2羽目(テルネック)
3羽目

15日(金)は快晴。イーグルハンター宅訪問を7時にスタート。ウルギーより南70㎞に位置するトルボ村に向かった。標高2110mと高く、調査期間中でもっとも厳しい寒さの中での調査になるとのことだったので重装備で出発した。途中、路の脇にある土手にミサゴがいるのを発見した。土手から飛び立って、虫を捕獲して食べるとのことだった。出発から1時間ほどで、村の中心部に到着。イーグルハンターたちの生活は基本的に家畜(ヤギ・羊・牛)の餌場を求めての移動生活なので、所在情報の聞き込みをした。幸いにも、すぐ近くに古老オロスバイ氏宅があるとわかり、そこに向かった。かつ、偶然にも同宅を訪問していた古老セセルカン氏にも会うことができた。ゲルの中に招かれ、チャイ(ミルクティー)とバルサック(揚げパン)・自家製バター・乾燥チーズ等で饗応された。これはどこのゲルを訪ねてもほとんど同じメニューで、毎日同じであったが、各家で少しずつ味や形に違いがあった。
  早速、オロスバイ氏に狩への同行をお願いしたが、この調査期間中は快晴の天気が続いており、氷点下の日を迎えることなく温かく過ごすことができた。それゆえ、カンソナル(雪が降って真っ白になり、獲物がよく見えるようになってから猟をおこなう)の時期に至っていないため、まだ猟には出ないとのことで、残念ながら出猟の様子を見学することはできなかった。この場所へは1週間ほど前にきたばかりで、10月半ばころにさらに山の近くまで移動するとのことだった。例年なら、9月から急激に寒くなるようだが、来年度の第2次調査隊の出発時期については、確実に氷点下になる時期を選ぶように検討すべきかもしれない。
 ゲルから約200メートル離れた大草原の中に、イヌワシ3羽が紐に繋がれていた。今は出猟前の鳥屋(とや)の状態とのことだったが、周辺には建造物は何もなく川が流れているだけで、牛やヤギたちも近くを往来することができる状態だった。目隠しをされるわけでもなく、イヌワシは日長、そこに繋がれていた。日本の鳥屋の状態とは大きく異なっていた。
 1羽目のイヌワシは0から満1歳齢にかけての若鷹でバラパンと呼ばれていた。嘴全体が黄色く、生まれた時の白い羽根から黒い羽根に生え変わりが進んでいる様子で、周辺にはたくさんの羽根が落ちていた。背中にはまだ白い羽根が残っている。
 2羽目のイヌワシは2から3年目(満1歳~満2歳齢)にかけてのテルネックかタス・トゥレクと思われ、背中の白いラインがなくなり、少し黄色い嘴が残っているが、首にゴールドの羽根が生えているのが目立つ。これがゴールデンイーグルと呼ばれる所以とのことである。2居とも、我々が近づくと身構えるが、ヒヨヒヨとなき声を出すため、おそらく巣鷹(巣から取って育てた鳥)だろうと判断された。
 3羽目のイヌワシは全体にゴールドの羽根が広がり、成鳥とわかった。いずれもメス(「エレク」)であり、子を生めるようになる4~5年目頃を区切りに自然に戻すとのことだが、近年は使い続けることも増えて来たとのことである。なお、イヌワシは自然に戻すこと(産地返還)が伝統の作法であるため、イヌワシを供養する儀礼はない。ただし、稀に不幸にも人間の生活する敷地内で死んだ場合には、供養をして生まれた場所に返すとの話だった。
 こうして、ヤギや羊の一面糞だらけの大草原のなかで、カザフの山並みを見ながら、ゆったりと過ごした。氷点下どころか、とても暖かな一日だった。

サグサイ村のイヌワシ祭り参加
 16(土)と17日(日)はサグサイ村でのイヌワシ祭り(Mongolia-Altai Eagle Festival 2017)に参加した。昨年度は氷点下で観光客も少なかったと聞き、これも厳重に防寒をして車に乗り込んだ。
 サグサイ村はウルギーから西に車で1時間程度のところにある。村に入るゲートの所で車を止められ、今年から外国人に対しては会費30USドルを徴収するとのことだった(BLUE WOLF TRAVEL主催)。祭りは10時からの開催予定で、9時過ぎにウルギーを出発したのだが、時間通りには始まらないとのことだったので、ラシン・アリカン氏のご自宅でお茶をいただくことになった。家の中には靴を脱いで入るところはゲルと異なったが、テーブルを囲んでの朝食は各ゲルでいただいた饗応と同じであり、チャイとバルサック、乾燥チーズ、自家製のバターという、ゲルでの生活とほぼ変わらないカザフの人々の食生活を見て、毎食、何を食べようかと献立に悩む日本での食生活を大きく省みる時間となった。

    

 11時過ぎ頃に会場に向かうと、イヌワシを右手に据えた騎馬のイーグルハンター25人ほどが登録のために横並びしていた。その姿は壮観だった。当日は5つの村からイーグルハンターが集まり、これを見るために48か国から観光客が来ているとのことで(主催者発表による)、優勝者にはバイク1台と50万トゥグルグ(約25万円)がもらえるとのことだった。
  イーグルハンターのカイズム氏(右)と娘のジニエル氏(左・18歳)が写真撮影に応じてくれた。アイ・チョルパン氏の影響からか、ジニエル氏の他にも女性イーグルハンターが増えているようだった。
 キツネの毛皮を着たカイズム氏のイヌワシは6歳、仔馬の毛皮を着たジニエル氏のイヌワシは2歳とのことだった。成鳥のイヌワシは重さが5~7㎏あり、それを右手に据えるために、馬具に付随してカザフ語でバルタックという器具が備えられているのがわかった。これは騎馬鷹狩猟の特有の技法であり、日本の鷹匠にはない技術と思われる。
 パレード後に、最初の競技である疑似餌の呼び戻しコンテストが始まった。騎馬上でイーグルハンターがキツネの肉で崖の上にいるイヌワシを呼び寄せるもので、日ごろの訓練が試される。しかし、観光客を気にしてか、イヌワシはなかなか飛び立たない。飛んだとしても失敗して、イーグルハンターのいる方向に向かわないことが続いた。日ごろの訓練もあるのだろうが、やはり観光客が周辺にいて、イヌワシが集中力を欠いたことも原因だろう。カザフ最初の女性イーグルハンターとして知られるアイ・チョルパン氏も参加していたが、残念ながら成功しなかった。そのなかで、イヌワシが少年の据えていたハヤブサめがけて襲い掛かるという事件が起きた。イヌワシはハヤブサやオオタカを捕えて食べてしまうとのことで、イヌワシの瞬時の観察力には驚かされた。

午後からはモンゴル遊牧民、特に地元ウリャンカイ人が名手とされる伝統競技の弓術、新婚の夫婦が騎馬に乗り妻が夫を鞭でたたきながら競争するクズ・コアル、中央アジアの伝統競技で、馬上で死んだ羊を奪い合うコクバルが催された。2日目は各催し物の決勝戦、夕方からはウルギー県立劇場で表彰式およびコンサートが催された。なお、会場では0歳齢の狼を連れている2人組がおり、写真を撮って良いとのことだったので撮影し、狼にも触らせてもらったが、後からお金を徴収されたので注意が必要である。とはいえ、この間は雲一つない快晴で、日差しが肌に痛い、とても暑い2日間であった。

    

再度のイーグルハンター宅訪問
 18日(月)は、サグサイ村のさらに約8㎞先にある草原のブテウ冬牧場を訪ねた。ここには6~7人のイーグルハンターがいるとのことだった。その一人、ジンスベク氏(25歳)の使うイヌワシは2歳の雌で、巣鷹とのことだったが、とても静かでヒヨヒヨと鳴くことがない。理由を尋ねると、捕まえてすぐに口を押えて鳴かないようにするとのことで、伝統的な技法により、巣鷹であっても不用心に鳴くことがなくなるものとわかった。
イヌワシの体尺測定を行い、頭から足までが約50cm、頭から尾までが約80cm、羽根を広げた幅が約180cmの成鳥だったが、大きい方ではないとのことだった。トゥグルという三脚の台にとまらせており、この台に人間は絶対に座ってはいけないとのこと。イヌワシは神聖なものであり、人間の道具とは厳密に区別しなければならないからである。なお、出猟前にイヌワシを据えさせてもらったが、約7㎏あるイヌワシを片手のみで据えるのは数分が限度と思われた。

トゥグル
バルタック
     

 午後からイヌワシの訓練の様子をみせてもらえることになった。騎馬の用意をする際に、近くでバルタックの付け方を見せてもらった。馬具の腰と根元の2か所を革ひもで結び、内側にしか倒れない工夫がなされていた。腰の両方に掛けた皮袋には、餌と疑似餌が入れられていた。猟服をきて騎馬上でイヌワシを据えた姿は、とても勇壮だった。
 車で移動すること約1時間。草原の際にある山に到着し、山上からイヌワシを放ち、馬上から招き寄せる訓練が行われた。サグサイ村祭りで見た様子とは違い、目隠しのトモガを外すと、すぐにイーグルハンターの操る疑似餌をめがけて飛び立っていた。日ごろの訓練の成果がよく表れていた。

その後、イヌワシの背中に360度カメラを設置して、イヌワシの飛行状況の記録が試みられた。最初はイヌワシもうまく飛べないようだったが、高い山に場所を変えて飛び立たせると、うまくいった。最後の飛翔を成功させ、たくさんのごちそうをいただいているイヌワシにお疲れ様といって感謝したあと、全員で写真撮影をして調査を終了した。とても充実した一日だった。
 19日(火)はバヤン・ウルギー県からウランバートルに飛行機で戻り、午後はモンゴル国立歴史民俗博物館を訪ねた。20日(水)にウランバートル発、成田着で無事に帰国し、解散となった。
 8日間の初モンゴル調査であったが、カザフの騎馬鷹狩猟の技法を直接見る貴重な体験をすることができた。ゲルでの饗応も心温まるもので、見ず知らずの人を招き入れてくれるカザフの人々の懐の深さを強く感じることができた。このような経験はなかなかできるものではない。さらなる詳細は『鷹・鷹場・環境研究』2号でお伝えする予定である。最後に、調査を全てコーディネートしていただいた相馬拓也氏には心よりお礼申し上げたい。

左から越坂・ラシン・ボロル・稲田・岩淵・福田・ジンスベク・相馬・ジョコブ・ユルベク・セリックさん
     

<バックナンバー>

鷹・鷹場・環境NEWS vol.1 (2017.4.25)  (PDF版)

鷹・鷹場・環境NEWS vol.2 (2017.10.11)  (PDF版)

鷹・鷹場・環境NEWS vol.3 (2018.2.1)  (PDF版)






科学研究費補助金基盤研究(A)

日本列島における鷹・鷹場と環境に関する総合的研究
研究代表者:福田 千鶴(九州大学)